1. května 2023

有休消化期間ほぼなしのまま新しい生活を続けてきたのでGWを前にしてかなり疲れが溜まっている。実習メインの勉強は新鮮なことが多くて楽しいけれど、さすがにそろそろ大きい休みがほしいなーとぐったり気味です。明日終われば5日間休み。疲れすぎて授業の復習も全然できてないので休みにまとめてやっておきたい。
授業ではひたすら作業をしているので、無心になる時間も多いと思いきや、頭の中はかなりうるさい。どうやってきれいに作るか考えながら…というのとは別に、どうでもいい空想に耽る時間がほとんどである。そういえば、わたしって常に何か考えているなー…と今さらながらに気づく。景色を見ながらただぼーっとする、とか無理だ。喋るのはそんなに好きじゃないけど、その代わりなのか、脳内はいつも5分経ったら忘れているようなとりとめないなんらかかがメリーゴーランドのようにぐるぐると巡っている。ひとの話を聞いている時にもいつのまにかどこかへ気持ちが飛んでいってしまうので、けっこうな割合で聞き逃しをしている。だから何…ってわけでもないけど、せっかく勉強しにきてるのだからもうちょっとシャキッと話を聞けるようになりたいです。

今までひとりでお酒を飲むことなんてほぼなかったけど、自由に飲める環境でなくなったら急に酒!ってモードになったのでボルシチピロシキをおつまみにワイン。昼飲みの良さがようやく理解できた。

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29. dubna 2023

働いていた頃に比べ自由な時間がたくさんできたので、空き時間には読書をするようにしている。いつでも途中でやめられるところが読書の利点とはいえ、心と体、そして時間に余裕がないと取り組むのはなかなか難しい。動作だけで言うと座って目を動かしているだけなのだけど、体力と気力と、何より根気が必要な趣味だと思う。元々本は好きだったし、図書館や本屋という場に足を運ぶのも習慣づいていたけれど、借りたり買ったりするものの結局読まない・読めないことが多かった。本を読んでいると、この時間があることこそが本当の自由なのだと嬉しく思う。
最近はレベッカ・ソルニットの本を読むようにしている。ON READINGのイベントで取り上げられた『ウォークス 歩くことの精神史』がとても面白かったので(まだ全部読めてないけど…)出先で図書館が近ければ、彼女の本を探して借りている。ソルニットはヒリヒリと焼けつくような文章を書く。彼女が女性の社会問題について述べる時、私が今まで考えないようにしていたやるせなさ、諦観などに対して「本当にそれに向き合わなくていいのか」と疑問を突きつけられている気がして、どこか罪悪感のようなものを覚える。事実、政治的な話題や社会問題の話を他人と共有するのが苦手で、たびたびニュースなど目にしてもぼーっと眺めるだけと言うか、ぬるっとやり過ごしてきた自覚がある。自分で自分を抑圧しているとも言える。
30年も生きていると昔からの習慣を変えることはなかなか難しく、ソルニットの本を読んでも素直に呑み込むまでにタイムラグが発生する。本当はちゃんと自分の主張や意見に輪郭を与えたい。そうするにはたくさん考えなければいけない。今まで見過ごしてきたものに目を向けなければならない。そのために自分に何ができるだろうと考えている。とりあえず、自分の頭と心の蓋を取るためには、たくさん本を読もうと改めて決意した。とにかく読んで、読んで、読んで、たとえばフェミニズムの、こういう考えを持つことはおかしくない、主張してもいいのだと、普通のことなのだと自分に許可を出してあげる。徐々にしかできないだろう。時間はたくさんかかるだろうけど、気づいた瞬間から始めれば、手遅れなんてことはないのだと信じている。

19. dubna 2023

4月からがらっと環境が変わって、美術系の学校で勉強しております。覚えなければならないことがめちゃくちゃたくさんある。できないことも無数にある。頭の中はパンパンで体も毎日疲れ切っている。けれど、この場所にいるのは自ら選んだ結果なのだと、そう思うと、今はまだできない自分にも、くたくたになっている自分にも、いい意味で諦めがつく。
30歳までにしたいことをしておかないとこの先一生好きなものに関われないと、ひとりよがりに思い込んでいた。実際その歳を迎えてみれば昨日と今日でなんら変わりなんてない。成人した時も同じように思っていた。歳がどうこうじゃなくて今が一番若いのだから年齢キャップで物事を考えるのはやめよう。どうしたってしたいと思った時にするべきだと考えたらあっさりと仕事を辞める決断ができた。
今月で辞めますと職場のひとに話したら「自分にも何かしたいことがあればいいんですけどね」と言われた。すべての人間がしたいこと探しをして、それを実現しなければいけないとはまったく思わない。わたしは堪え性がないのだと思う。自分の意思で決定できないことを遂行し続けるのに限界を感じていた。そして、好きなことを通じた自己表現の時間こそが唯一自分を好きになれる時間だとも思っていた。今勉強していることが一生その時間を提供してくれるものになるか、今はわからない。けれど目の前の選択肢がひとつ増えるのは事実である。決して長くはない貴重な時間を大切にしようと心の底から思う。

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8.února 2023

先日体験に行った絵画教室に通うことになった。体験で描いた石膏デッサンの続きをする。ちゃんと絵を描くのは中学美術以来で、石膏デッサン自体したことがない。キャンバスと像を交互に見比べながら一心不乱に手を動かしている時は「初心者なりにそこそこ形にできているのでは?」と思い込んでいたけれど、一息ついて引きで見ると、西洋人とはまったくかけ離れていて…それよりもどこかで見た顔だ。
去年の6月、家の給湯器が壊れてしまい約一ヶ月間毎日銭湯に通っていた。夜11時を回るというのに思ったよりもひとがいて、たぶんそのほとんどがご近所のおばちゃんである。描きかけのデッサン画に覚えた既視感は、あの時のおばちゃんたちです。

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関西のおばちゃんになる原因は陰影の弱さな気がしたので、頑張って軌道修正した。迫力があるねと先生に言ってもらえた。そして髪が課題だとも。確かに顔と土台ばっかり気にしていて髪の毛が雑になってしまった。描き方のコツを聞いておく。次回は鉛筆でのデッサンとのこと。
前回の教室帰りにも感じたのだけれど、体がものすごく疲れるし眠い。しかし不思議とすっきりした心地でバスに揺られていた。ふだん使っている回路と違うところを使った感覚がある。頭も体も。無心であることと、より良くするために考え続けることは同時並行できるのだと身をもって知る。何にも知らないペーペーだし、できる限り続けていきたいので、肩肘張らず気楽に好きにやっていけたらなー。

ところでブログのタイトルをチェコ語の日付表記にしてみた。だいぶ前に挫折してしまったチェコ語だけど、簡単なところから慣れ親しんでいけばちょっとは仲良くなれるのでは…というもくろみです。でもまずは英語を勉強しないとチェコ語の教科書すら読めないので、なんとかかんとか。

5. února 2023 ②

モクレンの後にはPLAYGROUND。エレナ・トゥタッチコワさんの作品を見るために。

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近くで展示をやっているなんて思いもしなかったからすごく嬉しかったし、幸運なことにご本人も在廊されていた。(そもそもPLAYGROUND自体、トゥタッチコワさんが主催されている場だとも今知りました…)
本当に素敵なものについて言葉で語るのは難しい。トゥタッチコワさんを知ったのはごく最近のことで、一目見た瞬間に浮かび上がったのは好きという気持ち、もっと早く出会いたかったという悔い。たいていが自然をモチーフにしているからかもしれないが、トゥタッチコワさんの作品を眺めていると、穏やかで透明な川の流れが見える。このひとの創った世界を裸足で歩いてみたいと、心から思う。
緊張のあまり作品について訊くことはできなかったけど、すごく好きですと直接伝えることができた。それだけで、今日一日が完結したと言っても過言ではない。少しお話ししただけでもあたたかいお人柄が伝わってきて、素敵だな〜…と会場を回りながらぼんやり噛み締めていた。
会場内には触れる作品がいくつかあり、トゥタッチコワさんのセラミックもそのうちのひとつだった。ご本人が近くにいるのでおそるおそる触れてみる。湿り気を帯びた土のあたたかさを指先で感じる。釉薬によってつやつやと色鮮やかに光っているけれど、これは紛れもなく、石ではなく土なのだ。触れる作品っていいな。紙や布といった素材が好きなのは、多くの場合において気軽に触ることができるからかもしれない。
他に特に目を引いたのは林太陽くんという男の子が作った、木の板に描かれた雪山とスキーヤーの絵。小さい頃によくスキーで長野に訪れていたことを思い出す。頭の片隅からPLAYGROUNDの壁面へと投影される記憶。運動は全然好きになれなかった幼いわたしだけど、晴れの日の雪山は大好きだったなー。

アートの感想を書くのって難しいとつくづく思う。言葉で表現できないものを形にしたのが美術作品であって、既存の言葉に無理くり当てはめるなんて野暮なんじゃないのと考えているところもある。とか言って、的外れだったらどうしよう…っていうのが一番なんですけど。今年の目標のひとつとして、ちゃんと言語化する、を掲げていきたい。